R7.8.29ピア交流会に参加して(ピアサポーターせんずより報告)
大好きな画像。全体を見たら上がり下がりを繰り返していても、現在地は始点よりステッ
プアップしてるよ。※国立精神・神経医療研究センターホームページより引用。 |
編集注:せんずさんからは8月30日に寄稿していただいてました。更新遅れて本当に申し訳ない!
先日、ピア交流会に参加してきた。
テーマは「リカバリーについて」。
これまでの自分の経験や思いと重なることがたくさんあって、心の奥が何度も揺さぶられた。
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「安心できる場があること」
まず改めて実感したのは、「安心できる場を持つこと」の大切さだった。
診断名や障害種別というラベルで判断されるんじゃなくて、一人の人間としてそこに居られること。
そのことがどれだけ心を支えてくれるのか、私はこれまでの自助グループやピアの活動を通して何度も感じてきた。
安心できる場があるだけで、人は自分の言葉を取り戻し、次の一歩を踏み出すことができるんだと思う。
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「“これくらいできるはず”や“普通”を手放す」
支援者や周囲がつい持ちがちな「これくらいできるだろう」という基準。
その言葉を聞いたとき、自分自身にも突き刺さった。
私はよく「普通に戻らないと!」と焦ったり、「もっと頑張らないと!」と追い込んでしまう。
でも、今のままの自分を良しとすることこそ大切だと気づかされた。
そして、結果が伴わなくても「行動を起こした自分」を褒めたいと思った。
過去の自分が踏ん張ってくれたからこそ、今の私がいる。
だから、病気になった自分は“失敗”なんかじゃない。
だけど、こう思えるようになるまでにすごく時間がかかった。
今でも揺らぐことがある。
人それぞれ、時間の掛け方や前に進む歩幅は違う。
それぞれの当事者のペースや選択を支援者も家族も信じてほしい。
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「語ることと、受け取ること」
「経験を語ることは力になる」という言葉には大きく頷いた。
ただし、語ることはいつでも良いわけじゃなくて、タイミングや相手の状態を見極めないと逆に苦しめてしまうこともある。
だからこそ、語る側も受け取る側も丁寧であることが必要なんだと思った。
そして人の痛みに向き合うには、自分の痛みにも向き合う経験が必要。
それは、安心できる場で自分の痛みを語り、その痛みを受け止めてもらうという経験の積み重ねを行っていくことであると私は感じている。
そして、リカバリーストーリーは“成功ストーリー”ではないと考える。
過去の懸命に頑張った自分に「失敗した」という烙印を押したくない。
語るのは成果や成功じゃなくて、あくまで「生きてきた軌跡」だと私は思う。
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「日常の中のリカバリー」
資料の中に「リカバリーは日常の生活の中にある」という言葉があった。
大きな成果を出すことよりも、日々の中の小さなこと
――朝起きられたとか、誰かと笑い合えたとか、犬と散歩して心が軽くなった瞬間とか――
そういう積み重ねがすでにリカバリーなんだ。
私はずっと「病気になる前の自分に戻らなきゃ」と思い込んでいた。
そして多くの当事者の方もそう願う。でも、前の自分が無理を重ねた結果、病気になったのだとしたら、その“元の場所や自分”が本当に安全で大丈夫だったのか
――そう考えるようになった。
でも、リカバリーとはきっと過去の自分に戻ることじゃない。
これまでの生き方や考え方、歪んでしまった認知を少しずつ変えていくこと。
そうやって「今の自分」と歩んでいくことが大事なんだと思う。
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「ピアだからこそできること」
同じ経験を持つ人と出会うことで、「自分のことを分かってもらえるかもしれない」という安心感が生まれる。
私にとってピア活動は、「支援する側」でありながら「支えられる側」にもなれる不思議な場だ。
「自分も誰かの力になれている」と実感できるとき、その瞬間こそが私のリカバリーなんだと思う。
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「おわりに」
今回の講演を通して私が思ったのは、リカバリーは完全に病気を消すことでも、元の自分に戻ることでもないということ。
人とのつながりや日常の小さな積み重ねの中にあって、支援する・されるを超えて、互いに学び合い、支え合うもの。
私はこれからも、安心できる場を仲間と一緒に作りながら、語り合い、受け取り合いながら生きていきたい。
リカバリーとは“成功体験”や“病気に勝った話”ではなく、“生きた証そのもの”。
これまで踏ん張ってきた自分を、そして今を生きている自分を、大切に抱きしめながら歩いていきたい。
当日のグループファシリ4人娘(派遣ピアサポーター)
私にとっても大切で、信頼できる仲間たち✨ |
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