ピアサポーターせんず (コラム)

第一話「ファーストペンギンに俺はなる!」


「合理的配慮の提供の申し出をしませんか?」


主治医からの助言に私は少し面食らった。


「私がやってもえいんですか?」


「うん、“主治医の意見書”も書くよ」


法律が改正され、事業所による「合理的配慮の提供」が義務化されたということは何となく頭には入っていたが、自分が現在置かれている状況で使っても良いものだとは微塵も思っていなかったので、主治医の言葉にビックリした。


「教育機関では、学生に対しての配慮義務は当たり前のようのされているし、私も学生が現場実習に行く際には配慮の提供を申し出ることはやってきたから」


私の方を見ながら穏やかな言葉をかけてくれる主治医。

でも私は、日頃から感じていた不安があった。


「先生………“配慮”ってしたい側がするものであって、求めるものではないと感じてしまうんです。」


“配慮”とは……深く考えて相手に気を配ること。

なので「~してほしい」と他者に求めることに対して、私は違和感を感じていた。


もちろん、事業所や教育機関側が「こういうサポートならできるよ」と当事者に向けて発信することにはなんの違和感もない。

むしろ有難い(めちゃくちゃ有難い)。

しかし、それも相手の心遣いがベースにあってこその“配慮”であると。

なので、自分から相手に対して「こういうサポートがほしい」と申し出ることでさえも、言い方は悪いが、私は「我が儘(わがまま)だなあ」と捉えてしまっていたのである。


「なので抵抗があるというか……申し訳ないというか。プライベートでも他人にはおろか、家族に対しても、自分の要望やお願いが出来なかった(自分の意見を正直に伝えることも)自分にとってはすごくハードルが高くて。でも、悪いことをするわけじゃない。法律で認められている権利なのだし、使う人のことを否定するつもりも毛頭ありません。でも、それを私がするってなると、すごい抵抗を感じるんです。我が儘(わがまま)を言っているような気がして、罪悪感すら芽生える云々」


ここでも長々と繰り広げられる。

分不相応だと。私のような人間には。

そのような自問自答の中で、ふと他の当事者の方々の顔も浮かんできた。

病気が寛解して、希望を持って社会に戻ったのに「普通」のペースに合わせられず、また挫折と自己否定の繰り返し。

投げかけられる“理解”や“共感”、“寄り添い”とは程遠い言葉の数々。


「それくらい普通でしょ?」

「そんなのできて当たり前」

「私の方がもっとしんどい思いしてるよ」

「しんどいのって気の持ちようだからさ」

「世の中もっと頑張っている人もおるし」


昔から積み重ねられてきた、多数の人々が作り上げてきた「普通」をこなすことに、当事者の方々がどれだけ必死に食らいついていこうとしているか。

そして、したくてもできない時の絶望や恐怖。


「できない自分が悪いんだ

できないと迷惑をかけてしまう」

「周囲に申し訳ない」


そして、また深いトンネルに入り込んでる。

悲しみや傷を抱えつつ、諦めに似た表情をする当事者の方々を沢山見てきた。

もし、その方々の有益なサンプル(情報)に自分がなれるのなら…。

声をあげることは何も悪いことではない。

自分の為の権利擁護(ようご)の一つではないか。


話は変わるが、私は昔から自分の為に動くことは苦手だ。

でも、他人の為ならフッ軽なのである。

そして、他人の為に動くことで私の自己肯定感は満たされる。

そう、私は究極の自己満足人間なのである(`・ω・´)

「……S先生、私、ファーストペンギンになりたいんです」


「ファーストペンギン?聞いたことあるね」


未知なる海へ飛び込む最初ペンギン。

それを、アメリカでは敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼ぶそうだ。


「私はこの病院で沢山のことを、自分が主体となってさせてもらえる機会を多く与えてもらいました。その中でやっぱり思ったんです。“行動を起こさないと、結果は生まれない” そしてどんな結果になったとしても、自身の責任として受け止め、次の学びへと繋げる。それを繰り返すことで、リカバリーへと繋がるんだなって。」


「私が行動を起こすことで、後に続く人たちの有益な情報になるのならやってみたいです。結果がプラスになるのかマイナスになるのか分からないけど、やったことに価値があると思うので。プラスであれ、マイナスであれ、人によっては私の行動自体が、有益な情報になるんじゃないかなって」


「………開拓者や先駆者って感じがしてえいね(笑)」


「なんか、それやと壮大すぎて( ̄▽ ̄;)なので、ファーストペンギンがえいです。ペンギン、かわいいし(推しもペンギンっぽいキャラデザやし)」


「なるほど(笑)わかりました。私ももちろん協力するし、何か不安なことがあったり、しんどくなったりしたらすぐ診察の予約は入れてね」


「ありがとうございます!」


「じゃあまずは、学校に「合理的配慮の提供」申し出に関する書類があるか確認してみて。ところによっては指定の書式があるはずだから」


「そして申請する内容については、担当カウンセラー(心理士)さんと相談してみて。その後で私が、「主治医の意見書」を書くから」


学校に説明しないといけないのか(めんどくさいな)とは思ったが、やると決めたらさっさと始めよう。

始めてしまえば終わるのだから…と自分に言い聞かせ、学校の担任にメールで書式があるか尋ねた。

ちなみに、私はマイナスなことを想像させると日本一だと自負している。

自分でも惚れ惚れするほどのマイナス思考なので、ありとあらゆるケースの最悪なパターンを想像するのだが、メールを送った時点でも「ひょっとしたら、ここではねつけられる可能性もあるか」と思ってしまった。

その瞬間、マイナス思考が噴水のように涌き出てくる。


「そんな申し出をされても困る」

「前例がない」

「個人的には受け入れたいが、組織(会社)が難しいと言っている」

「配慮が必要なくらいの体調なら、完治してから(精神疾患に完治はない。良くても寛解なのだが)通ってみたら?」(これが個人的には一番最悪なパターン)


などなど、私の溢れんばかりの想像力がフル稼働していた。

まあ結局、学校からの返信は
「指定の書式はない。あなたのほうで作成したものを提出してOK。ただし、何に対してどういう配慮を求めるのかを明確にしてほしい。あとは事務的なお願いを云々」
とのことであった。

結局のところ、不安な想像の99%は起こらないというが、マイナス思考人間からしたら、その残りの1%に自分が引っ掛かりそうで不安なのである。

何はともあれ返信があったので、取り敢えず第一ステージクリアか。

突っぱねられることも考えていたから、自分の中では良い反応が返ってきたのでホッとした。

次は申請内容について考えよう。

私はさっそく、ずっとお世話になっているカウンセラーさんに会いにいった。

(つづく)

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