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ピアサポーター・イオ(コラム)

10月は祖母の命日があった。 庭の金木犀が咲くと思い出すあの1週間。 99で大往生だった祖母、私は折り合いが悪くて老人ホームに入ってからは一度も顔を合わせた事は無かったけど、祖母の訃報が出た時は、イオ家の親戚が何人か日替わりで来てた。 その1週間は喪服暑い!となるくらい快晴で、滅多に満開にならない金木犀と銀木犀がどちらも満開だった。 まだピアサポの研修を受ける前、ピアサポという言葉を知った前後?くらいで、治療はうまくいってるけどあと1歩2歩進みたいと思っていた頃。 従兄来た、当時で25年ぶりくらいに会った、一番歳の近い従兄、誰やねんこいつと思うくらい印象変わってた。 色々あったらしい、若い時の写真見せてもらったらピアスバッチバチに開いてた。 まだ「一般常識」の中にいたので少しびっくりした、が、こんだけ開いてて良いなら一個くらい開けるか…とそれまで迷っていたのを実行する決意をもらった。 従姉来た、祖父母から同じ血を継いでる人って不思議と兄妹より似たりする。 やっぱ一部私と似た顔をしている人が何人かいた、髪を短くしてたり、染めてたり。 短い髪型はあんまり似合わないのではと思う美容師に当たりまくり、肩までしか切れなかった。 黒髪以外が似合う気がしなかった。 似た顔をしている人たちにショートもカラーも似合っている…それやりたい、切って染める決意を勝手にもらった。 私は父譲りで、少し人の好き嫌いがハッキリしてる所がある。 親戚と言えど他人は他人、苦手な人もいる。 そんな人達相手に1週間、迎える側で少し頑張った。その数年前(多分心療内科受診した年)は今では大好きな伯母が1人で泊まりに来ただけでも、何かのキッカケで過呼吸起こしたりして部屋から出られなかったのが、凄い変わりようだったと思う。 でもそれで葬儀も終わって、落ち着いたら私のターン! ショッピングモールにオシャレな美容室入ってんな…ここ行きたいここ、髪切る!染める! ピアッシングは医療行為で、自前でやるなら本人が開けないと違法…ほうほう…よーしニードル買ってみよー! あの1週間、大変だったけど、普段会わない人達と代わる代わる会えたのは良い刺激になったと今なら思う。 それから更に1週間で見た目激変しました。 イオの原型が出来上がりです。 これがあったから、研修を受ける自信もついたのかもしれない。3年前の話。

ピアサポーター・イオ

 『中土佐町から何かできれば』イオの本の話と、きょうだいの話。 今年の5月から高知県立大学の永国寺キャンパスで行われている 「永国寺はらっぱフェス」の中のヒューマンライブラリーに本やサポートとして関わらせて貰ってる。 2月にプレ開催があって、その時には関わっていたので、私の今年の活動の一つの軸。 という事で、私のヒューマンライブラリーの本の話。 前置き:本と言っても製本する訳では無く、色んな経験の当事者が"生きている本"として、読者と称する少数の聴者に向けて語り、感想や質問などに答える対話を行うのが基本、元々の理念が普段は接する事のない精神的困難当事者と話して偏見を溶かす事が目的だったりするので。 さてでは本題、要は 語る人=本 語る経験=本の内容 な訳ですが、私の本の内容は今の所2つ。 人それぞれ色んな経験をしているので、どの経験を語るかで内容は変わります。 私の1冊目の内容は「ひきこもりから、なんか色々語れる人への変化」 2冊目の内容は「家族に対しての想い」 2冊目は家族事でアホみたいにしんどい想いをした後に、経緯をまとめてたら草案が生まれた物、なので私の人生の非常にパーソナルな部分が出ている(気がする) 先日、実際に読者に話す前に、気心知れてる相手に聞いてもらう編集会議も兼ねている本読み会で話させて貰った。 元は6000字超えの前後編を、なんとか4000字超まで削った、個人的名称"簡略版" 文章はここで途切れていた。 8月に途中まで書いて放置されてました、何が書きたかったのか思い出せないので、2025/10/26新しく書く。 元々あんまり人生の岐路とか大事な場面では関わってなかった下の兄の事は、簡略する前から記述が少なかったんだが、その後当日を迎えるにあたって更に縮小した簡略版からは下の兄に関する記述をほぼ消した。 当日は対話の時間があるので、下の兄の事が気になったら聞かれるだろうと思って残り少ない部分も消した。 結果聞かれる事は無かったけどw そうそう、本読み会の時も多分あんまり聞かれなかった。 私から見た母の事、私から見た上の兄の事、私から見た父の事、自分の内面の事、色々詳細に思い出して書いて尚、あんまり覚えがない下の兄。 きっとこれから読んでいく本は簡略版のみなので、下の兄の事を少しここに書いておこう。 彼は私の1...

ピアサポーターたっくん(コラム)

ピアサポーター 私はピアサポーターになって4年くらい経つのだろうか。 今まで個別支援やリカバリーストーリーの発表、 WRAPファシリテーター、 ヒューマンライブラリーでの生きている本、 としての派遣を受けたことがあります。 ピアサポーターになったきっかけは、 ピアサポーター養成研修実行委員会の人に講師やグループファシリ をしてみませんかと言われたのがきっかけでした。 それまでは、 高知市のピアサポーターとして活動していたのですが、 今は県と市の両方で活動をしています。 今は個別支援とWRAPファシリテーターとして派遣されています が、毎週一回あるのがWRAPファシリテーターのお仕事です。 私は今まで自分が通所しているデイケアでしかファシリをしたこと がなく、 地域でやるのってどんな感じなんだろうと思っていました。 今回は、自分が通所するデイケアに派遣され、 仲間と一緒にWRAPファシリをしています。 このWRAPでは地域と同じようなタイムスケジュールでやってい ます。 なのでたくさんの学びがあります。 WRAPで自分が今まで気づかなかったことや、 地域ではどんな感じで進めていくのかとか。 先輩ファシリのやり方を見て勉強しながらクラスを進行しています 。 次は地域でWRAPをする予定が入っています。 地域でのWRAPは私を入れて3人でやる予定です。 3人のうち2人はファシリテーター養成研修の同期なんですね。 3人とも地域でのWRAPのファシリテーターの経験がない人です 。 なのでどんな風なクラスになるか楽しみです。 今回はこのへんで。                                    たっくん

R7.8.29ピア交流会に参加して(ピアサポーターせんずより報告)

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大好きな画像。全体を見たら上がり下がりを繰り返していても、現在地は始点よりステッ プアップしてるよ。※国立精神・神経医療研究センターホームページより引用。 編集注:せんずさんからは8月30日に寄稿していただいてました。更新遅れて本当に申し訳ない!   先日、 ピア交流会に参加してきた。   テーマは「リカバリーについて」。   これまでの自分の経験や思いと重なることがたくさんあって、心の奥が何度も揺さぶられた。   ---   「安心できる場があること」   まず改めて実感したのは、「安心できる場を持つこと」の大切さだった。   診断名や 障害種別という ラベルで判断されるんじゃなくて、一人の人間としてそこに居られること。   そのことがどれだけ心を支えてくれるのか、私はこれまでの自助グループやピアの活動を通して何度も感じてきた。   安心できる場があるだけで、人は自分の言葉を取り戻し、次の一歩を踏み出すことができるんだと思う。   ---   「“これくらいできるはず”や“普通”を手放す」   支援者や周囲がつい持ちがちな「これくらいできるだろう」という基準。   その言葉を聞いたとき、自分自身にも突き刺さった。   私はよく「普通に戻らないと!」と焦ったり、「もっと頑張ら ないと! 」と追い込んでしまう。   でも、今のままの自分を良しとすることこそ大切だと気づかされた。   そして、結果が伴わなくても「行動を起こした自分」を褒めたいと思った。   過去の自分が踏ん張ってくれたからこそ、今の私がいる。   だから、病気になった自分は“失敗”なんかじゃない。   だけど、こう思えるようになるまでにすごく時間がかかった。   今でも揺らぐことがある。   人それぞれ、時間の掛け方や前に進む歩幅は違う。   それぞれの当事者のペースや選択を支援者も家族も信じてほしい。   ---   「語ることと、受け取ること」   「経験を語ることは力になる」という言葉には大きく頷いた。   ただし、語ることはいつでも良いわけ...