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ピアサポーター・イオ

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今回のチラシに使った写真、丁度今頃の時期。 リカバリーカレッジ高知秋講座 2025/11/29の話 昨年度からコアメンバーとして入り自分の活動の基軸の一つとしているリカバリーカレッジ高知(以下RC高知)、今年度初の講座を無事終えられました。参加して下さった方々有難う御座いました。 という訳で色々当日までのこと。 今年度ははらっぱフェスでのヒューマンライブラリーが始まり、しばらくリカバリーカレッジに手がまわりませんでした。 でもやるよ!と言っていたし、何より私がやりたかったしと、まきまきに「そろそろリカバリーカレッジやりません?」と言ったのが数ヶ月前。 昨年度RC高知存続の危機にコア入りしてくれたtomoさん、リカバリーカレッジおおたのメンバーとして昨年のRC文化祭でお会いした今年度から県大で教員をやられているせいけさんも新しく加わって、心機一転!する感じでもないのがRC高知の良い所、マイペース。 7月に初めてのミーティングがあり顔合わせと今年度の概要を決めた、イオは大々的に暗躍する事に決めた(哲学) 昨年度までみっちりだったし(1講座につき4日開催は全国のRCから見てもかなり稀)それをやるには時間もマンパワーも足りてないしって事で、今年度は単発を数回やりましょう…という事で決定、実は提案自体は文化祭の頃にまきまきにはしてた。 無理しちゃあかん。 ミーティングもゆったり月一、薬の影響で前回話した事ほぼ覚えてない事もしばしば。 それでもなんとか乗っていってなんでだったか私はチラシ制作を引き受けた、無鉄砲である、デジャヴ。 そういった経緯で使ったのが最初の写真である。 内々の話はこの辺にして当日の話。 学生ボランティアに1回生が!?素晴らしい!と心の中で絶賛しながらタイムスケジュールなどの確認の時間、あー!リカバリーカレッジだ!!!ふぉぉー!!と静かにテンションが上がっていた私。 設営どうしやしょー、車椅子ユーザーさんは今回はお申込みなさそうだけど動線は確保したいよね、車椅子の幅を考えると立位で歩いてる人もすれ違いやすいよねなどと思いながら机を横に動かした時に、腰にピキリと痛みが。 あれこれはなんか昔運動不足で来た腰の痛みと違うぞあれ、と設営から離脱させてもらって他の事してた。 まだ本編に入ってないのに今日はここまで。

こどもぴあ研修会のお手伝いしてきましたー!(ピアサポーターせんずより報告)

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「精神疾患の親を持つ子どもの会 こどもぴあ高知けんぴ」の主催研修会のお手伝いを仲間のピアサポたちとして参りました!   当日は、子どもの立場のピアサポーターと子どもの立場ではないピアサポーターに分かれ、グループでのファシリテーター補助、会場設営(机・椅子の配置)や資料の準備、受付補助などを行いました。   私自身、子どもの立場ではないのですが当事者の方の体験発表に圧倒されてしまい、メンタルが粉微塵になりそうでしたが何とか堪え、最後までいることができました。   バウンダリー大事…。   久しぶりに会ったピアサポ仲間もいて、安心した空間の中でお仕事に集中できたなあと感じています。 受け付けしてくれたお二人。ノリが良すぎる(最高✨) 最後にみんなで一緒に!  

ピアサポーター・イオ(コラム)

10月は祖母の命日があった。 庭の金木犀が咲くと思い出すあの1週間。 99で大往生だった祖母、私は折り合いが悪くて老人ホームに入ってからは一度も顔を合わせた事は無かったけど、祖母の訃報が出た時は、イオ家の親戚が何人か日替わりで来てた。 その1週間は喪服暑い!となるくらい快晴で、滅多に満開にならない金木犀と銀木犀がどちらも満開だった。 まだピアサポの研修を受ける前、ピアサポという言葉を知った前後?くらいで、治療はうまくいってるけどあと1歩2歩進みたいと思っていた頃。 従兄来た、当時で25年ぶりくらいに会った、一番歳の近い従兄、誰やねんこいつと思うくらい印象変わってた。 色々あったらしい、若い時の写真見せてもらったらピアスバッチバチに開いてた。 まだ「一般常識」の中にいたので少しびっくりした、が、こんだけ開いてて良いなら一個くらい開けるか…とそれまで迷っていたのを実行する決意をもらった。 従姉来た、祖父母から同じ血を継いでる人って不思議と兄妹より似たりする。 やっぱ一部私と似た顔をしている人が何人かいた、髪を短くしてたり、染めてたり。 短い髪型はあんまり似合わないのではと思う美容師に当たりまくり、肩までしか切れなかった。 黒髪以外が似合う気がしなかった。 似た顔をしている人たちにショートもカラーも似合っている…それやりたい、切って染める決意を勝手にもらった。 私は父譲りで、少し人の好き嫌いがハッキリしてる所がある。 親戚と言えど他人は他人、苦手な人もいる。 そんな人達相手に1週間、迎える側で少し頑張った。その数年前(多分心療内科受診した年)は今では大好きな伯母が1人で泊まりに来ただけでも、何かのキッカケで過呼吸起こしたりして部屋から出られなかったのが、凄い変わりようだったと思う。 でもそれで葬儀も終わって、落ち着いたら私のターン! ショッピングモールにオシャレな美容室入ってんな…ここ行きたいここ、髪切る!染める! ピアッシングは医療行為で、自前でやるなら本人が開けないと違法…ほうほう…よーしニードル買ってみよー! あの1週間、大変だったけど、普段会わない人達と代わる代わる会えたのは良い刺激になったと今なら思う。 それから更に1週間で見た目激変しました。 イオの原型が出来上がりです。 これがあったから、研修を受ける自信もついたのかもしれない。3年前の話。

ピアサポーター・イオ

 『中土佐町から何かできれば』イオの本の話と、きょうだいの話。 今年の5月から高知県立大学の永国寺キャンパスで行われている 「永国寺はらっぱフェス」の中のヒューマンライブラリーに本やサポートとして関わらせて貰ってる。 2月にプレ開催があって、その時には関わっていたので、私の今年の活動の一つの軸。 という事で、私のヒューマンライブラリーの本の話。 前置き:本と言っても製本する訳では無く、色んな経験の当事者が"生きている本"として、読者と称する少数の聴者に向けて語り、感想や質問などに答える対話を行うのが基本、元々の理念が普段は接する事のない精神的困難当事者と話して偏見を溶かす事が目的だったりするので。 さてでは本題、要は 語る人=本 語る経験=本の内容 な訳ですが、私の本の内容は今の所2つ。 人それぞれ色んな経験をしているので、どの経験を語るかで内容は変わります。 私の1冊目の内容は「ひきこもりから、なんか色々語れる人への変化」 2冊目の内容は「家族に対しての想い」 2冊目は家族事でアホみたいにしんどい想いをした後に、経緯をまとめてたら草案が生まれた物、なので私の人生の非常にパーソナルな部分が出ている(気がする) 先日、実際に読者に話す前に、気心知れてる相手に聞いてもらう編集会議も兼ねている本読み会で話させて貰った。 元は6000字超えの前後編を、なんとか4000字超まで削った、個人的名称"簡略版" 文章はここで途切れていた。 8月に途中まで書いて放置されてました、何が書きたかったのか思い出せないので、2025/10/26新しく書く。 元々あんまり人生の岐路とか大事な場面では関わってなかった下の兄の事は、簡略する前から記述が少なかったんだが、その後当日を迎えるにあたって更に縮小した簡略版からは下の兄に関する記述をほぼ消した。 当日は対話の時間があるので、下の兄の事が気になったら聞かれるだろうと思って残り少ない部分も消した。 結果聞かれる事は無かったけどw そうそう、本読み会の時も多分あんまり聞かれなかった。 私から見た母の事、私から見た上の兄の事、私から見た父の事、自分の内面の事、色々詳細に思い出して書いて尚、あんまり覚えがない下の兄。 きっとこれから読んでいく本は簡略版のみなので、下の兄の事を少しここに書いておこう。 彼は私の1...

ピアサポーターたっくん(コラム)

ピアサポーター 私はピアサポーターになって4年くらい経つのだろうか。 今まで個別支援やリカバリーストーリーの発表、 WRAPファシリテーター、 ヒューマンライブラリーでの生きている本、 としての派遣を受けたことがあります。 ピアサポーターになったきっかけは、 ピアサポーター養成研修実行委員会の人に講師やグループファシリ をしてみませんかと言われたのがきっかけでした。 それまでは、 高知市のピアサポーターとして活動していたのですが、 今は県と市の両方で活動をしています。 今は個別支援とWRAPファシリテーターとして派遣されています が、毎週一回あるのがWRAPファシリテーターのお仕事です。 私は今まで自分が通所しているデイケアでしかファシリをしたこと がなく、 地域でやるのってどんな感じなんだろうと思っていました。 今回は、自分が通所するデイケアに派遣され、 仲間と一緒にWRAPファシリをしています。 このWRAPでは地域と同じようなタイムスケジュールでやってい ます。 なのでたくさんの学びがあります。 WRAPで自分が今まで気づかなかったことや、 地域ではどんな感じで進めていくのかとか。 先輩ファシリのやり方を見て勉強しながらクラスを進行しています 。 次は地域でWRAPをする予定が入っています。 地域でのWRAPは私を入れて3人でやる予定です。 3人のうち2人はファシリテーター養成研修の同期なんですね。 3人とも地域でのWRAPのファシリテーターの経験がない人です 。 なのでどんな風なクラスになるか楽しみです。 今回はこのへんで。                                    たっくん

R7.8.29ピア交流会に参加して(ピアサポーターせんずより報告)

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大好きな画像。全体を見たら上がり下がりを繰り返していても、現在地は始点よりステッ プアップしてるよ。※国立精神・神経医療研究センターホームページより引用。 編集注:せんずさんからは8月30日に寄稿していただいてました。更新遅れて本当に申し訳ない!   先日、 ピア交流会に参加してきた。   テーマは「リカバリーについて」。   これまでの自分の経験や思いと重なることがたくさんあって、心の奥が何度も揺さぶられた。   ---   「安心できる場があること」   まず改めて実感したのは、「安心できる場を持つこと」の大切さだった。   診断名や 障害種別という ラベルで判断されるんじゃなくて、一人の人間としてそこに居られること。   そのことがどれだけ心を支えてくれるのか、私はこれまでの自助グループやピアの活動を通して何度も感じてきた。   安心できる場があるだけで、人は自分の言葉を取り戻し、次の一歩を踏み出すことができるんだと思う。   ---   「“これくらいできるはず”や“普通”を手放す」   支援者や周囲がつい持ちがちな「これくらいできるだろう」という基準。   その言葉を聞いたとき、自分自身にも突き刺さった。   私はよく「普通に戻らないと!」と焦ったり、「もっと頑張ら ないと! 」と追い込んでしまう。   でも、今のままの自分を良しとすることこそ大切だと気づかされた。   そして、結果が伴わなくても「行動を起こした自分」を褒めたいと思った。   過去の自分が踏ん張ってくれたからこそ、今の私がいる。   だから、病気になった自分は“失敗”なんかじゃない。   だけど、こう思えるようになるまでにすごく時間がかかった。   今でも揺らぐことがある。   人それぞれ、時間の掛け方や前に進む歩幅は違う。   それぞれの当事者のペースや選択を支援者も家族も信じてほしい。   ---   「語ることと、受け取ること」   「経験を語ることは力になる」という言葉には大きく頷いた。   ただし、語ることはいつでも良いわけ...

「私たちから見た世界」に聴講者として参加した、私の話(ピアサポーター・イオ)

2025/07/13 りぐらっぷとセカンドストーリーさんの共催企画、「私たちから見た世界」にお話を聞きに行ってきました。 登壇者は(当日の並びの左から順に)ピアサポ仲間のRMSさん、tomoさん セカンドストーリーの代表の山中しのぶさん 山中さんとテレビ番組での共演を機に交流を持ったという、はるばる大阪から来てくださった河合翔さんの4名。 それぞれ抱えているもの(障害やトラウマなど)も、それらとの付き合いのタイミングやキッカケも違った4名のクロストークが聞けました。 ----------------------------------- (以降、少し時間が経ってから続きを書いたので文章の書き方が変わってます😅) その中に、聴講者として参加した私はある不安を感じていた、福祉系のテレビを見る時、私は字幕を読んでいる事が多い、聞き取りに問題があるのだ。 まだ自己診断の範囲だが、私はAPD(聴覚情報処理障害)という障害を抱えている可能性がある。 "聞こえているのに聞き取れない"と表現されることもあるAPD、実際自分もそんな感じで聴力自体には問題は無いのだが、耳から入ってきた情報の処理や取捨選択がとても苦手。 ワイワイガヤガヤとしている場所で特定の人物の声だけを拾うのが難しかったり、拾えても信じられない様な聞き間違いをしてしまって軽いトラウマ(今でもたまに夢に見る)を抱えていたり、言葉のイントネーションが少し変わるだけでも正しく脳内で変換する事が出来なくなったりする。 と、前置きが長くなったが、では何故それで不安に思っていたのか、それは河合さんが脳性マヒの当事者さんだったからである。 福祉系の番組で、私が特に字幕を注視している時間は脳性マヒ当事者の方が話している時。 自分の体の動きの制御や調整が難しい脳性マヒの方の話し方は、イントネーションや発語が独特になりやすく、私には物凄く聞き取りづらい。 今回もそうなるのでは…と思ったら、不安が的中、何を仰ってるのかほとんどわからない。 でも途中まではなんとか聞き取れた(であろう)部分をメモに書き起こして、文章として受け取っていたのだが、元々聞きながら書き起こすのも難しい自分の脳にめちゃくちゃ負担がかかっていて、そのうち頭で考えるだけにしていたら頭痛がしてきて一旦会場を出た。 少し休んでいたら休憩タイムに入り、りぐ...