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ピアサポーターたっくん

個別支援に関わって思うこと わたしは昨年の3月の後半から高知市のピアとして先輩のピアサポーターについて個別支援に4回 同行させてもらい勉強をしました。 その後に私がアルコール依存治療のための入院をする前に現在関わっている対象者の方の個別支 援をすることになりました。 個別支援にもいろいろあると思うのですが、私が関わっている方については入院中の方で退院を し、地域で生活をすることを目標としている方です。 だいたい何時も1時間ほどなのですが、個別支援でする内容は作業所やグループホームの見学や買 い物に同行したりこれからどうしていきたいかとかをお話ししたりとかが私が関わってきた中で やってきた支援でしょうか。 私はピアサポーターとしてはまだまだ駆け出しの頼りないサポーターだと思います。 そんな私でもお役に立てるのならと思い支援に関わらせてもらっています。 個別支援に関わってきて今わたしが思うことなのですが、わたし自身が退院する時もこんなふう に利用できるものがあれば良かったのになと思います。 入院中の方に関わっていくと対象者の方にもいい影響が出たり、また体調を崩したりと普通の入 院生活ではありえない変化があると思います。 特に長期入院になっている方は退院を諦めて病院を終の住処と考えとる方もいらっしゃると思い ます。 わたしも約4年間ほど入院していたときは病院で寿命を迎えるまでいるんだなと思っていました。 そういった方に少しでも退院をして地域で暮らしてもらいたいなとわたしは思います。 なぜなら、退院して地域で暮らしていく中でたくさんの出会いや学びがあったからです。 入院が悪い事ではないのですが、終の住処にはして欲しくはありません。 なのでこれからもピアサポーターを続けていける限りは個別支援をやっていきたいと思います。 たっくん

ピアサポーターたっくん

たっくんを形どるもの5 私は普段デイケアに通所しています。 そんな中、ピアサポーターだったりWRAPファシリテーターの依頼があればお仕事をすると言った感じで活動をしています。 ピアサポーターとしてよくしているお仕事は個別支援です。 たまにWRAP(元気回復行動プラン)のファシリテーターのお仕事をもらう時もあります。 私の主なお仕事はこの2つです。 たまにですがリカバリーストーリーをお話させてもらうこともあります。 リカバリーストーリーとは簡単に言えば自分の物語でしょうか。 私の場合、幼少期のことから病気発症、今現在と言った感じ。 入院、退院、その後自分がどんな活動を通じて回復(元に戻ることではなく、いい感じで過ごせ る感じ)して行っているかを自分の言葉でお話をすると言った感じで私はリカバリーストーリーを、お話しています。 デイケアでもリカバリーストーリをやってみたいと思うのですが、ちょっと重い腰が上がらないと言った感じです。 いつかはリカバリーストーリーをデイケアでやってみたいと思います。 なぜかというと、自分が実際にやってみて良かったと思ったからです。 自分の物語を書くのは結構しんどいのですが、自分の過去や現在をまとめることによって自分を認めていくということができるからです。 私の場合、かなり長い間自分を否定して生きてきました。 しかし、自分の物語を書くことによって昔の自分がいるから今の自分がいるんだと思えるようになったからです。 なので私はリカバリーストーリーは皆さんにやってもらいたいと思うのですが、人によっては過去を思い出すことによって病気が悪化することがあると思います。 なので無理にはしないで欲しいのと、自分が元気な時にリカバリーストーリーを書いてもらいたいと思います。 これからも自分のストーリーを更新したり、他の人の話をこれからももっと聞きたいと思います。 たっくん

ピアサポーターたっくん

たっくんを形どるもの4 私は普段はデイケアと地域活動支援センターに通所しています。 デイケアはかれこれ20年近く通所しています。 地活は約5ヶ月くらいでしょうか。 デイケアでは以前は主に治療プログラムに参加していました。 最近はピアサポーターのお仕事が入るので参加できないのですが。 後はクッキング(料理)やピアノ(講師の演奏に合わせて歌ったり)だったり さをり織、大人の塗り絵、作ろうよ(工作、絵画etc)とか。 兎に角じぶんの興味のあるプログラムには参加しています。 その中で身につけた技術はパンを焼く事とメタ認知(自分を客観視する事)について習い、自分の偏った思考や癖を知り、少しでも生きやすくす方法だったり。 デイケアではたくさんの事を学べるし今までたくさん学んできました。 私の通所しているデイケアでは色んなことに挑戦をさせてくれます。 挑戦する時って失敗したらどうしようと考えてしまいどうしても一歩踏み出すことができないという事があると思うのですが、デイケアでは失敗しても良いよと言ってくださるので凄く挑戦しやすいです。 そんな感じのデイケアなのでメンバーがプログラムで講師をしたりと言うこともあります。 今まで私は色んな事をさせてもらいました。 メンタルに関する講義や太極拳、パンを作るプログラムでも私がメインで教えてパンを作ると言ったこともありました。 多分ですが、仕事をしている時に失敗すると怒られるし下手をすると減給とかもありますよね。 それがデイケアでは無く、チャレンジする事で色んな経験をさせてくれるのです。 多分それが良かったのだと思います。 たっくん

ピアサポーターたっくん

 たっくんを形どるもの *今回は入院中の事を書いているため文章の中には体調を崩すかもしれない強い言葉が一部使われています。 なので読む時は無理をしないようにおねがいします。 また、フラッシュバックする恐れがある方は読むのを控えてください。 私の記事が皆さんの気づきにつながれば嬉しいなと思います。 -------------------- たっくんを形どるもの3 私は4年間精神科病院に入院していました。 最初に入院したのはN病院です。 N病院には約4ヶ月間入院していました。 最初は開放病棟で約1ヶ月半くらいで退院したのですが同じ年の年末に再入院となりました。 その時は自分が覚えてる範囲でいうとかなり状態は悪かったです。 警察に病院に連れて行かれての入院でした。 閉鎖病棟ですが洗面用具や入浴に使うものは自己管理でした。 その時は本当に私の調子は悪く、体を洗うタオルで○殺しようとしてタオルや紐状のものは全て取り上げられました。 そうした状態の悪いときが続き どうもこの病院ではこれ以上の治療は無理ということで 現在通院している病院に転院してきました。 そして今の病院で入院治療が始まったのですが、最初の1ヶ月半くらいは薬漬けの生活でした。 お薬があまりにもきつくて起きていられないのです。 1日3回の食事の時と起きた時、寝る時のタバコを吸う時くらいしか起きていることができませんでした。 それと、今の主治医になるまで何人もの担当医が変わったのです。 入院生活では自分が正しいという思いが強くなっていました。 なので他の入院中の患者さんにそれは違うだろといった事を言って少し問題になっている時もありました。 私は入院中色んな勉強ができたと今では思うようになりました。 そして、私は病気になって良かったと思うようにもなりました。 最初はなぜ自分はこんな病院にいるんだろう?とか自分に価値がないとか考えてうつになることが どうしてなのか分かりませんでした。 病院を退院してデイケアに通所しだしてプログラムに参加をするんですが、その中で頭やわらか教室というものがありました。 認知行動療法というものらしいです。 それに10回以上参加して自分の考え方が原因で病気になったのだなと自分なりに理解することができました。 私は勉強は嫌いなのですが学ぶということはとても大切だなと思いました。 あと、デイ...

ピアサポーター・イオ

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 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅3-2と締めの文。 前提として、イオは以下略 飛行機に乗る少し前、まきまきが今疲れを感じた!といった様な事を仰った。 それを聞いて、普段のRCでも時間を見つけては準備から一生懸命に取り組み、実施の数日もニコニコ笑顔だけどきっと必死でやり遂げ、全日程終わった段階で、疲れたー!!と感じているのかなと私は思った。 帰りの飛行機の中でも色んな事を話して、3日間一緒に行動させてもらって、ほんの少しだけまきまきの深いところを知れた気がした。去年まではRC実施者と参加者、今年からはコアメンバーとしての関係だったけど、改めてちゃんと?ピアになりたいなぁと感じた。 話していたら飛行機が着陸、飛行機から出る前まで話していた記憶。 中土佐が企画して実現した、龍馬空港の荷物受け取りレーンの巨大タタキの模型は見れんかった、多分レーン改修中だった為。ちょっと残念。 父と合流、まきまきと帰ってきたぞー!な写真を撮ってもらう、最後まで楽しい。 まきまきと解散して父の運転で帰る道中、頭がほわーんとしてた、イッツ夢見心地。身体は疲れ切ってたけど、本当にあの時手を挙げて良かったなぁとしみじみ。 ここから余談 私が住んでいる中土佐から空港までは遠く、車で1時間以上かかる。なのでその周辺には滅多に行かないが、父が見たい景色があると海沿いの道を通って帰った。 その景色がこれである 美しい…そして本当に島が無いな(瀬戸内の友人が、高知で海を見たら島が無い!と感動していた事があった)と、父に話したら「見えてないだけでアメリカがこの先に…」そうじゃない、そうじゃないよパパん。我が家はこういう事実と冗談を組み合わせた事を言う家庭です。 閑話休題。 その後無事帰りつき、今回の私の東京旅は幕を閉じました。 全編更新に20日ほどかかった今回の番外編、いかがでしたでしょうか? 個人のfacebookでも書いたのですが、文化祭後からしばらく頭の中から文章が溢れ出て止まらなくなったので、書き始めたのがこの番外編連載のキッカケでした。 今は少し落ち着いてきて文章の溢れ出しは止まってきているけど、毎日何かを考えてる状態で少し頭が重いですが、それだけまた何か私の中で色々な事が変わってきているのかな?と良い方向に考えてます。 来年度もリカバリーカレ...

ピアサポーター・イオ

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅3-1 前提として、イオは以下略 前日遅刻した反省を活かし、ホテルに戻ってからは朝すぐに出られる様に準備して就寝。 6時間ほど寝られて、朝6時半起床。 まきまきとのロビーでの待ち合わせまではまだ時間ある、昨日一昨日の事を色々思い出しながらコラム文を書き始めたのはこの辺だった様な。 色々あったなぁ、今日で東京ともまたオサラバかぁ…などと干渉に浸る事もなく、朝から何かにびっくりしたりなんかしたりしてた、この事は後に書くかもしれないし、書かないかもしれない。 さてそろそろ待ち合わせの時間だ、忘れ物は無…寝巻きのパーカー入れるの忘れてるじゃないか…やや無理矢理詰める。 待ち合わせ時間の10分前にはロビーに着いた、まきまきはいない、待とう。 待ち合わせ時間にLINEきた、今度はまきまきが遅刻、散歩していたらしい…パワフルだなぁ、私なんてヘトヘトでもう必要外で歩きたくないでござるよ、と思いながら待つ。 5分遅れくらいだったので、なんのなんのとお互い様で御座いますと、先にチェックアウトを済ませて大きい荷物はロビーに預け、とある方との話合いに出発。 これも元々の予定に入っていた事、だがマジで足が棒。あと頭寒い、帽子… 少しふらついていたので電車の揺れに振られまくる、優先席空いた…座らせてもらう、出先ではヘルプマークつけた方が良いのかなぁ心身不安で身体に力入らない時あるし…なども考えながら、立ちで余裕の表情のまきまきに尊敬の念を覚える。 着いた、話合いのお相手さん居らはった。話合い開始。 RC高知が今これこれこういう状況で、続けていけるかの岐路にある、どう思います?とアドバイスじゃないけど考えを聞いた。 雑談も交えて2時間以上話して、やっぱり形態変えても続けていきたいし、続けていける可能性が少し見えた!という所で話合いは終了。 これも良い時間だった。 さあさ、羽田に向かう時間である、雑談楽しくなっちゃって結構ギリギリめになった。 電車でホテルまで戻り、預け荷物を受け取って、羽田空港へ。 荷物が重いいいいい。 この3日間で腕の疲労はピークに、高知に帰ったら大きめのリュックサックを買う事を決心するイオ。 まきまきが各所にお土産を買う、いつ渡せるかわからないイオは買わない、週末の忘年会で渡せば良かった...

ピアサポーター・イオ

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 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅2-4 前提として、イオは物を失くしたり忘れたり以下略 ヒューマンライブラリーの会場になってた部屋が、文化祭の締めの部屋にもなっていたので続々と集まる他の講座の運営・参加者さん達。 その中でイオが何をしてたか、それは作家名刺配りである。アクセサリー渡した人には作家名刺を渡す様にしてるのに、忘れてた! とりあえず人数分手に取って、あの方どこだー!と見つけては改めてご挨拶しながら名刺を渡してた。 その時突然のぞみんさんから声をかけられた 「各講座から1人1分くらい発表やるらしいんだけど、やってくれない?」 「やります」 無鉄砲なのかはわからん、だが緊張から解放されてた私は無敵だった。返事食い気味だった気がする。 順番回ってきた、いざ人数を見ると緊張するものである。考えている時間も無かったので、ほぼ自分の感想になっていた様な。 それでも頼まれて引き受けてから10分も無く100人前後の前で1人で1分話す、1年半前の私ではとてもじゃないが考えられない事をした。 100人前後を前に内心バックバクだったイオ うっかり左手が後ろにいってる。 話終わって定位置に戻った時の私はまさしく ○|‾‾‾|_ これ。 もしくは orz これ。 一人当たりスペース狭かったから後者が近い気が(無駄にディテールにこだわる) その後、周辺の人と感想とか共有してみる時間があり、うっかり今日が初対面の方々だらけのメンバーさんの中に紛れ込むイオ。 私は気づいたら人の懐にいる様子。 リカバリーストーリーとヒューマンライブラリーの違いについて、違わないという意見もあり理由を聞いたらそれもそうだなと思いつつ、私の考える違いはこう!と話し、短い時間だったけど人によって考え方・物事の捉え方は違うんだなという学びを改めて得られる時間になった。 今回の東京での開催の陣頭指揮をとってくれたRCおおたの山田悠平さん(ゆうへいさん)からの言葉と、同じくおおたのせいけさんから業務連絡?的な言葉があり(この辺疲れてて記憶あやふや)文化祭は無事終了。 原状復帰を手伝おうかと思ったが、すっかりヘトヘトかつ元々筋力ない人間に持てる重さじゃなかった…ので、場にいるだけで過ごさせていただいた。 一般参加の皆さんがお帰りになって、運営メンバーそれぞれから...