投稿

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅2-2 前提として、イオは物を失くしたり忘れたり以下略 さて会場のバトンタッチの時間が来た、午前と午後で使える部屋が3つだったので、午前の講座が終わるのと入れ替わりに我々午後の講座が入る。 ヒューマンライブラリー(以下HL)に割り当てられた部屋は2-1でも書いた土足禁止の部屋、大手を振って靴を脱げるので足もと快適。 しかも確か3つの会場の中で一番広い。 本は3冊だが、これだけ広ければ他の声に"聞こえ"を遮られる事も無いだろうという安心感もあった(聞こえているのに聞き取れないAPDの気があります) 今回のHLがどんなものかを説明する資料をクリアファイルに入れて、バインダーに挟み、その場に居る全員に記念?として配布される缶バッジを入れる作業を、同じく本として参加しているユタカさんと一緒に手伝う。 いつも通り一心不乱にやっていたら、ユタカさんが 「なんかコレおかしい」 と気づいた缶バッジ、表面の印刷部分が上手くプレスされて無い物があった、気づかんかった!やはり1人でやるより複数でやった方が気づいてくれる人が誰居るから良いなぁと思いながら、それを一旦袋から外して作業再開。割と早く終わった。 HLでは、話者である本も、聴者である読者も 「同意書」 に同意する必要がある。 ふんふん、と文書の確認をしていたら、先程の上手くプレスされてない缶バッジの話(余った分はメンバー用だった)になり、その辺りは配布分からは外しましたよと言った私はドヤ顔だったかもしれない。手作りならそういうエラー品も仕方ない。 同意書に署名していたら、メディア(福祉新聞とか読売新聞が来てた)のカメラ撮影についての確認もされた、みんな顔写っても良い?の問いかけに イオ 「私は大丈夫でーす」 ゆうこりん 「私も大丈夫ー」 ユタカさん 「僕も大丈夫ー」 なんかカッコいいなみんな、と、言われた気がする。 本には司書がつく、質問&感想タイムでの進行役もあるが、本によって話せる事、話せない事は違う、話せない時に断れるかも違う、話せない質問が飛んできた時など、本である本人に代わって断ってくれるのも司書の役割の一つの様。あと本の体調が悪くなった時の読者への対応とか。 私は 「人生97%NG無し」 を謳っているのと、割と...

ピアサポーター・イオ(コラム)

イメージ
  『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅2-1 前提として、イオは物を失くしたり忘れたり以下略 深夜0時、珍しく大きく移動して疲れすぎて眠れないイオ。 それでもなんとか入眠。 起きた、暗い、4:30。 …エネルギー付けるのも考えて何か食べて寝ようと、近くのコンビニへ。 買い込んでホテルに戻り、( '༥'  )ŧ‹”ŧ‹”タイム。 したら寝てた。 そして朝、LINE通話の音で目覚めた。 8:10に合流の予定、今8:13… 寝坊したー!!!!!!!!!! 急いで着替えてロビーへ、まきまきと合流した のも束の間スマホ忘れたー!!!!!!!!! 急いで戻ってスマホを取って再度ロビーへ 笑って許してくれるまきまきの懐の広さよ… 予定より10分以上遅れて出発、いや本当申し訳なかった。 と、その道中で気づいた、帽子がない。 いつからだろう、帽子が無い。 …まあそういう別れのタイミングだったんでしょう!と最近どっかで聞いたような事を言って悩まない事にした。(これは高知帰ってから探す事になる) 会場になっていた東京工科大学さん 旧東京工業大学(現:東京科学大学)と よく間違われるらしい。 大学に着いたらもう皆さん準備に入ってる、いやはや本当申し訳orz と謝るのはここまでにして、私は午後の講座担当だからどこか手伝える所はありますか!と、うろうろ。 受付の動線整理?したり、なんかちょこちょこ手の足りない所のお手伝い。 そして文化祭が開幕した、オープニングでは各カレッジの紹介を1分ほどでやった。 大学に向かう途中、まきまきから「話す事決めてなかった!」と言われ、私も案を少し出しながらまとめて下さって、練習の後本番へ。 カレッジ紹介をする2人。 RC高知のイオです! まきまきです! 次はまきまきが読む部分である、だが一瞬静寂が流れる。 …自己紹介から続けて話すのは大変そうだ、次 は自己紹介の順番変えましょう 。 私が企画立案から微妙な全体ファシリまでをやった 「安心に関心を持とうYO」のタイトルを片手の振り付きで言ったら少し笑っていただけた。 そそくさと戻る二人、本来の戻る方向と真逆に言ってしまう二人。 RC高知は(良い意味で!)行き当たりばったりの人が多いです…良い意味で! 午前の講座の準備があるまきまきとは、ここで一旦解散、...

ピアサポーター・イオ(コラム)

  「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 この出来事たちを書こうと思った理由の話、編。   近所を散歩してみようと家から出て、知っている道と一本間違えた道に進んでしまって迷子になったり、何が原因か父と喧嘩して、私にだって少しくらい出来る!!!とブチ切れて深夜にローソンに行ったり、ひきこもっている間にも1人で外に出る事は何度もあった。 この出来事たちの事を、私はずっと"ただの挫折経験"としか思っていなかった。 消化しきれない思い出だった。 2024年12月8日、リカバリーカレッジ文化祭in東京 そこで私は「ヒューマンライブラリー」という講座に本(話者)として参加した。ひきこもっていた人生を語った。 質疑応答&感想を読者(聴者)から聞き答える時間で、私は「父へのプレゼント?の話」の事を簡潔に話した。 そしたら読者の方から意外な言葉をもらう「賢い人なのかな?と思いました」と。 なぜ!?と聞いてみると ・ケーキを買うのに店員に対面で話しかけられない ・SNSなどの非対面でのやり取りで人に慣れていった この2点の様な部分から、自分の出来ない事を、自ら分析して、変えていく事が出来ているのかなイコール賢い人なのかな、と。 私の記憶がおぼろげなせいか、かなり話を盛りに盛っている気がするが。 閑話休題。 私にとっては"ただの挫折経験"だった事が、人から見たらその経験をもとにして、自分なりに変えていっている様に見えるのか!と目から鱗。 おかげで"ただの挫折経験"の数々が、今の自分を形作る物になっていたのかなと消化できる様になった。 なので書いてみた、誰かの気づきとか何かになるかもしれないし。 私の話を誰かが聞いて、その誰かが何かを思ってくれれば嬉しいのです。 おわり

ピアサポーター・イオ(コラム)

 「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 バスに乗るの話、編。 ※人によってはとてもしんどい言葉も出てくる話です、懸念のある方はブラウザバックもしくは 次の話(リンク) に飛んでください。 なんか度々やってた覚えはあるが、記憶に残っているのはもう一個「バスに乗る」である。 10代も後半に入った、学校の縛りは無くなった、だがやはり社会への罪悪感は拭えなかった、だから行動してみようと思った。 もう20年近く前だが、我が家はPC環境が整っていたのでバスの時刻表や料金表をネットで調べる事が出来た。最低限のお金を持って名古屋市営の「名古屋市北図書館」へと行こうとした、私にとっては前から行ってみたかった「近くてとても遠い場所」 ネットで調べたバス停まで焦りなのか何故か走って行き、数年のひきこもり生活ですっかり体力がなくなっていた私は息も絶え絶えにバス停に着いた、止まっていたバスに表示されていた地名は私が乗る予定のバスと一緒だった。 私は慌ててそのバスに乗り込み、次の降車場の名を聞いて絶望する事になる、逆方向に乗ってしまったと気がついたせいだ。 ニュースや父から聞く社会常識は身についていたが、実体験や学校での学習経験がないとわからない社会常識は、全くと言っていいほど身についてなかった私には、同じ地名や場所の名前を表示しながら逆方向に進むバスがある事は全くの予想外だった。 行き帰りのバス代しか持っていなかった私は、すぐ一駅で降り、戻ってくるバスを1時間近く待った。 泣いた、死ぬほど泣いた、また出来なかった、またしてももっと小さい子でも出来て知ってそうな事を知らずに出来なかった。 吹きさらしのバス停で、目の前のファミリーレストランを見ながら絶望と空腹だけを感じていた。 戻ってきたバスに乗った、本来なら多分これに乗れば図書館へ行けたのだろうと思っていた、運転手さんが怪訝そうな顔で私を見ていた気がする。 家から乗ってきたバス停に着いた、とぼとぼと歩き家に着いた、泣きはらした。自分には何もできない、何も、何も、生きてる意味がわからなくなった。○んだ方がいいんじゃないか?父にも迷惑をかけて金をかけさせてるだけだ。 そこあたりからほんのりとした自○願望に2〜3年ほど付きまとわれる様になった。 そんな状態で過ごしていたある日、近所にミニストップ(コンビニ)が出来た、容易に行ける範...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 父への誕生日プレゼント?の話、編。 愛知県名古屋市で生まれ育ち、小学5年生11歳(4/2生まれなので進級とともに年齢が上がる)の時に不登校とひきこもりを開始した私。5年生以降も小学生のうちは学童保育には行っていたけど、休んでるのに学童保育にだけ来てると思われるの嫌だな…と、そっちも休みがちに。勉強嫌いな子も学校通っているのに、喘息もあるとは言えそれ以外の日もズル休み(と当時は思ってた、後に鬱と診断)の私が外に出ている事を知られたく無かった。 だけど、社会に馴染もうという努力はしていた記憶がある。 何歳の時だろう、父が誕生日だ!と、近所のスーパーの中のケーキ屋に買いに行った。 どうしよう、店員さんに声をかける事が出来ない、怖い。 元々ひどい人見知りだったのが、年齢を経て対人恐怖のレベルになっていたらしい。 少し遠巻きからケーキ屋を見つめながら、どうやったら声をかけられるのかを考えるも、恐怖が勝って自分を責める言葉しか浮かんでこない。 はじめ◯のおつかいを当時から観ているが、3〜4歳の子達さえできる事が出来ない自分を責める事しか出来なかった。 泣けてきてしまった、うずくまって泣く私。そんな状態になっていたのをケーキ屋さんの店員さんが気にしてくれてるのが見えた。 ひょっとしたら声をかけてくれるかもしれない!という打算的な考えが浮かんで、余計に情けなくなった。お前(私)はまた他人に頼るのか。 結局実際声を掛けてくださって、ケーキを買えたけど声は全然出なかった、感謝の言葉すら伝えられなかった。 泣きながら家に帰った、帰り着いたら涙が止まらなくなった。 ケーキは美味しかったけど苦い思い出どころか、適応障害を自ら悪化させてた気しかしない挫折の思い出になってた。 次の行動に出るまで1年かかった、ケーキ屋はだめだ、店員さんに声をかける必要がある。ならば声を掛けない買い物なら出来るのではないだろうか?と思った、父の好物はチーズだ、いつもは買わないちょっと高いチーズを買いに行こう、同じスーパーに。 レジを通す時はビクビクバクバクだったが買えた、前回は1時間かかったのが数分で買えた!その日は泣く事は無かった。 つづく(リンクになってます)

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅1-3 前提として、イオは物を失くしたり忘れたりする事が多い。 蒲田駅から前日までに必死で調べていた電車に乗り品川駅へ。 中央改札を出ると大きい時計が見えると兄から教えられていたが、注意欠陥のせいか見当たらない、見当たらない。 周りをぐるぐる、時計あった!兄はどこだ! 中央改札を出て2分近く迷っていた気がする。 居た、居たよ、話しかけたらなんかラグがあったから、きっとピンク髪にびっくりしていたのはここのタイミングなのだろう。 5年ぶりに会いました、10以上離れている兄です、昔は怖くも見える顔だったけれど、やはり少し優しい顔になってる。 イオ家はせわしないので、合流してすぐ動く。 事前に言われていた通り駅ビルの中のハンバーグ屋へ、名前は「つばめグリル」。 これが!あの!イオの趣味の一つはクイズであり、たまたまその関係で今年に入って知った店。 しかし東京の土曜の夜、想定していた以上に激混み、カウンター席なら…との声掛けにもさすがにゆっくり食べられないと後送りにしてもらったら、数十分待った。 待ち時間で近況やら親戚の状況やら話題の7割は終わった。 いよいよボックス席?へ案内されてメニューを見る、やばいな…定番はビーフシチュー掛け、横にはデミグラス掛け、ほんのり偏食の気がある私が苦手な組み合わせである、結果和風大根おろしにした。 色々文章では話せない話もした、アレやコレやソレなど。 頼んだもの来た…このハンバーグの横にある大きな丸いものはなんですか?拳大くらいあるふかしたジャガイモが丸々一個乗っていた。美味しいけど豪快やな… ハンバーグ、美味しい、タレ、美味しい、わさび菜、美味しい、ジャガイモ、美味しいけどお腹にくる…。 何の気無しにご飯かパンかでパンにしてた、3枚分くらいの、切れ目を入れたバゲットがパリパリで美味しいけど堅い、顎がやられそう。 根性と勿体無い精神で完食した。 写真撮ろうぜと言ったが場所が悪い、駅に着いてからにしようとなった。 イオ家はせわしない、2人とも食べ終わったらすぐお会計、東京の物価にビビる。 しっかり帰りも何に乗れば良いか調べてきて、それであってるよね?と確認し、改札で解散した。 行く方向違うと指示を出された、時に気づいた、写真撮り忘れた…。 正味2時間もない...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅1-2 前提として、イオは物を失くしたり忘れたりする事が多い。 電車に乗り、早めにチェックインできるかなーまだ預かりかなーと思いつつ、降車してホテルに到着。 何故かまきまきが慌てている 「時間間違えてた!」 どうやらこの時刻だと荷物預けて今から電車だと勉強会に遅刻するらしい、ごめんなさいまきまき、イオ全然調べてませんでした(´ω`;) という事でタクシーを拾う、たまたますぐ空車が見つかった! そのタクシーの運転手さんも面白かった 少額の端数は「良いよ良いよと断って、カミさんに怒られる」 自分が乗った時はお釣りを「良いよ良いよと断って、カミさんに怒られる」 名前表示も無かったし、個タクならそりゃそうやろなぁ…と思いながら、他の話もして3人大笑いの道中だった。 数分遅れて勉強会に到着、簡単な名前とカレッジの自己紹介中、タイミング的にオーラスになってしまった() でもこれまでオンラインでしか存在を知らなかった方々がリアルに居る!わーい!嬉しい! 今回運営に協力してくれる学生ボランティアさんにいつも通り話しかけるまきまき、フレンドリー過ぎです(褒めてる) 同じテーブルに私が参加するヒューマンライブラリーのメンバーの方々が居た、背後のテーブルにもメンバーの方々が居た、所属カレッジ毎に座ってたはずがヒューマンライブラリー担当メンバーが全員付近に集まってた、たまたまなのかそうでないのかは遅刻していったので謎。 カレッジ紹介を順番にしていった、高知勢、時間管理出来ない、話したい事多い、大幅に時間を使ってしまって申し訳ない( ̄▽ ̄;)けどなんだかそれも笑って済ませてしまってくれるのが、リカバリーカレッジという共通言語を持ってる人達の懐の広さだろうか。有難い。 休憩毎に挨拶をしたり、各地から集まったお土産のお菓子を貰ったり、私は相変わらずアクセサリーを持って行ってたので、出会いの記念にと学ボラさんにプレゼント。 めっちゃ喜んでくださって、明日つけて行きますね!!と言ってくれた、可愛い、嬉しい。 ほぼ予定通りの時間で勉強会が終わり、明日使う部屋の説明を受けて、どういった配置にしよう等ヒューマンライブラリー担当メンバーで打ち合わせをした、改めてこの数ヶ月密に打ち合わせをしていた人達が目の前にいる、感動...