ピアサポーター・イオ(コラム)
「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」
父への誕生日プレゼント?の話、編。
愛知県名古屋市で生まれ育ち、小学5年生11歳(4/2生まれなので進級とともに年齢が上がる)の時に不登校とひきこもりを開始した私。5年生以降も小学生のうちは学童保育には行っていたけど、休んでるのに学童保育にだけ来てると思われるの嫌だな…と、そっちも休みがちに。勉強嫌いな子も学校通っているのに、喘息もあるとは言えそれ以外の日もズル休み(と当時は思ってた、後に鬱と診断)の私が外に出ている事を知られたく無かった。
だけど、社会に馴染もうという努力はしていた記憶がある。
何歳の時だろう、父が誕生日だ!と、近所のスーパーの中のケーキ屋に買いに行った。
どうしよう、店員さんに声をかける事が出来ない、怖い。
元々ひどい人見知りだったのが、年齢を経て対人恐怖のレベルになっていたらしい。
少し遠巻きからケーキ屋を見つめながら、どうやったら声をかけられるのかを考えるも、恐怖が勝って自分を責める言葉しか浮かんでこない。
はじめ◯のおつかいを当時から観ているが、3〜4歳の子達さえできる事が出来ない自分を責める事しか出来なかった。
泣けてきてしまった、うずくまって泣く私。そんな状態になっていたのをケーキ屋さんの店員さんが気にしてくれてるのが見えた。
ひょっとしたら声をかけてくれるかもしれない!という打算的な考えが浮かんで、余計に情けなくなった。お前(私)はまた他人に頼るのか。
結局実際声を掛けてくださって、ケーキを買えたけど声は全然出なかった、感謝の言葉すら伝えられなかった。泣きながら家に帰った、帰り着いたら涙が止まらなくなった。
ケーキは美味しかったけど苦い思い出どころか、適応障害を自ら悪化させてた気しかしない挫折の思い出になってた。
次の行動に出るまで1年かかった、ケーキ屋はだめだ、店員さんに声をかける必要がある。ならば声を掛けない買い物なら出来るのではないだろうか?と思った、父の好物はチーズだ、いつもは買わないちょっと高いチーズを買いに行こう、同じスーパーに。
レジを通す時はビクビクバクバクだったが買えた、前回は1時間かかったのが数分で買えた!その日は泣く事は無かった。
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