ピアサポーター・イオ(コラム)

 「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」

バスに乗るの話、編。

※人によってはとてもしんどい言葉も出てくる話です、懸念のある方はブラウザバックもしくは次の話(リンク)に飛んでください。


なんか度々やってた覚えはあるが、記憶に残っているのはもう一個「バスに乗る」である。


10代も後半に入った、学校の縛りは無くなった、だがやはり社会への罪悪感は拭えなかった、だから行動してみようと思った。
もう20年近く前だが、我が家はPC環境が整っていたのでバスの時刻表や料金表をネットで調べる事が出来た。最低限のお金を持って名古屋市営の「名古屋市北図書館」へと行こうとした、私にとっては前から行ってみたかった「近くてとても遠い場所」

ネットで調べたバス停まで焦りなのか何故か走って行き、数年のひきこもり生活ですっかり体力がなくなっていた私は息も絶え絶えにバス停に着いた、止まっていたバスに表示されていた地名は私が乗る予定のバスと一緒だった。

私は慌ててそのバスに乗り込み、次の降車場の名を聞いて絶望する事になる、逆方向に乗ってしまったと気がついたせいだ。

ニュースや父から聞く社会常識は身についていたが、実体験や学校での学習経験がないとわからない社会常識は、全くと言っていいほど身についてなかった私には、同じ地名や場所の名前を表示しながら逆方向に進むバスがある事は全くの予想外だった。

行き帰りのバス代しか持っていなかった私は、すぐ一駅で降り、戻ってくるバスを1時間近く待った。
泣いた、死ぬほど泣いた、また出来なかった、またしてももっと小さい子でも出来て知ってそうな事を知らずに出来なかった。
吹きさらしのバス停で、目の前のファミリーレストランを見ながら絶望と空腹だけを感じていた。

戻ってきたバスに乗った、本来なら多分これに乗れば図書館へ行けたのだろうと思っていた、運転手さんが怪訝そうな顔で私を見ていた気がする。

最初乗ってきたバス停に着いた、とぼとぼと歩き家に着いた、泣きはらした。自分には何もできない、何も、何も、生きてる意味がわからなくなった。○んだ方がいいんじゃないか?父にも迷惑をかけて金をかけさせてるだけだ。
そこあたりからほんのりとした自○願望に2〜3年ほど付きまとわれる様になった。

そんな状態で過ごしていたある日、近所にミニストップ(コンビニ)が出来た、容易に行ける範囲にミニストップが出来たのは初めてだった。
夏になると出るハロハロを食べてみたかった、ホットスナックも食べてみたいのがたくさんあった。
幸いにしてその場所は、家から出、左に曲がり直進し、もう一度左に曲がれば見える、早歩きをすれば2分ほどで着く場所だった。
ここなら迷わず行けるではないか。
夕方の暗くなってきた時間に、駆け足気味で繰り出した、着いた、見た事のない商品が沢山並んでいた。
きっと一心不乱に商品を選んでいたと思う、そしてレジの前には美味しそうなホットスナック達。
ケーキ屋の時の事が浮かぶ、でもあれから7〜8年ほど経ってたせいか、物凄い小声で「すみません…」くらいは言えるようになってた。
欲しい商品を指差しながら、「これ…」、「何個ですか?」には人差し指を立てて答えた。買えた。
帰りも駆け足で帰った、家に着いた時は達成感でいっぱいだった。
やっと出来たと泣いた、泣きながら食べたクランキーチキンは美味しかった。それから高知に越してくるまでの間に何度も通った。小遣いが削れる程には。




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