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ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅2-2 前提として、イオは物を失くしたり忘れたり以下略 さて会場のバトンタッチの時間が来た、午前と午後で使える部屋が3つだったので、午前の講座が終わるのと入れ替わりに我々午後の講座が入る。 ヒューマンライブラリー(以下HL)に割り当てられた部屋は2-1でも書いた土足禁止の部屋、大手を振って靴を脱げるので足もと快適。 しかも確か3つの会場の中で一番広い。 本は3冊だが、これだけ広ければ他の声に"聞こえ"を遮られる事も無いだろうという安心感もあった(聞こえているのに聞き取れないAPDの気があります) 今回のHLがどんなものかを説明する資料をクリアファイルに入れて、バインダーに挟み、その場に居る全員に記念?として配布される缶バッジを入れる作業を、同じく本として参加しているユタカさんと一緒に手伝う。 いつも通り一心不乱にやっていたら、ユタカさんが 「なんかコレおかしい」 と気づいた缶バッジ、表面の印刷部分が上手くプレスされて無い物があった、気づかんかった!やはり1人でやるより複数でやった方が気づいてくれる人が誰居るから良いなぁと思いながら、それを一旦袋から外して作業再開。割と早く終わった。 HLでは、話者である本も、聴者である読者も 「同意書」 に同意する必要がある。 ふんふん、と文書の確認をしていたら、先程の上手くプレスされてない缶バッジの話(余った分はメンバー用だった)になり、その辺りは配布分からは外しましたよと言った私はドヤ顔だったかもしれない。手作りならそういうエラー品も仕方ない。 同意書に署名していたら、メディア(福祉新聞とか読売新聞が来てた)のカメラ撮影についての確認もされた、みんな顔写っても良い?の問いかけに イオ 「私は大丈夫でーす」 ゆうこりん 「私も大丈夫ー」 ユタカさん 「僕も大丈夫ー」 なんかカッコいいなみんな、と、言われた気がする。 本には司書がつく、質問&感想タイムでの進行役もあるが、本によって話せる事、話せない事は違う、話せない時に断れるかも違う、話せない質問が飛んできた時など、本である本人に代わって断ってくれるのも司書の役割の一つの様。あと本の体調が悪くなった時の読者への対応とか。 私は 「人生97%NG無し」 を謳っているのと、割と...

ピアサポーター・イオ(コラム)

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  『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅2-1 前提として、イオは物を失くしたり忘れたり以下略 深夜0時、珍しく大きく移動して疲れすぎて眠れないイオ。 それでもなんとか入眠。 起きた、暗い、4:30。 …エネルギー付けるのも考えて何か食べて寝ようと、近くのコンビニへ。 買い込んでホテルに戻り、( '༥'  )ŧ‹”ŧ‹”タイム。 したら寝てた。 そして朝、LINE通話の音で目覚めた。 8:10に合流の予定、今8:13… 寝坊したー!!!!!!!!!! 急いで着替えてロビーへ、まきまきと合流した のも束の間スマホ忘れたー!!!!!!!!! 急いで戻ってスマホを取って再度ロビーへ 笑って許してくれるまきまきの懐の広さよ… 予定より10分以上遅れて出発、いや本当申し訳なかった。 と、その道中で気づいた、帽子がない。 いつからだろう、帽子が無い。 …まあそういう別れのタイミングだったんでしょう!と最近どっかで聞いたような事を言って悩まない事にした。(これは高知帰ってから探す事になる) 会場になっていた東京工科大学さん 旧東京工業大学(現:東京科学大学)と よく間違われるらしい。 大学に着いたらもう皆さん準備に入ってる、いやはや本当申し訳orz と謝るのはここまでにして、私は午後の講座担当だからどこか手伝える所はありますか!と、うろうろ。 受付の動線整理?したり、なんかちょこちょこ手の足りない所のお手伝い。 そして文化祭が開幕した、オープニングでは各カレッジの紹介を1分ほどでやった。 大学に向かう途中、まきまきから「話す事決めてなかった!」と言われ、私も案を少し出しながらまとめて下さって、練習の後本番へ。 カレッジ紹介をする2人。 RC高知のイオです! まきまきです! 次はまきまきが読む部分である、だが一瞬静寂が流れる。 …自己紹介から続けて話すのは大変そうだ、次 は自己紹介の順番変えましょう 。 私が企画立案から微妙な全体ファシリまでをやった 「安心に関心を持とうYO」のタイトルを片手の振り付きで言ったら少し笑っていただけた。 そそくさと戻る二人、本来の戻る方向と真逆に言ってしまう二人。 RC高知は(良い意味で!)行き当たりばったりの人が多いです…良い意味で! 午前の講座の準備があるまきまきとは、ここで一旦解散、...

ピアサポーター・イオ(コラム)

  「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 この出来事たちを書こうと思った理由の話、編。   近所を散歩してみようと家から出て、知っている道と一本間違えた道に進んでしまって迷子になったり、何が原因か父と喧嘩して、私にだって少しくらい出来る!!!とブチ切れて深夜にローソンに行ったり、ひきこもっている間にも1人で外に出る事は何度もあった。 この出来事たちの事を、私はずっと"ただの挫折経験"としか思っていなかった。 消化しきれない思い出だった。 2024年12月8日、リカバリーカレッジ文化祭in東京 そこで私は「ヒューマンライブラリー」という講座に本(話者)として参加した。ひきこもっていた人生を語った。 質疑応答&感想を読者(聴者)から聞き答える時間で、私は「父へのプレゼント?の話」の事を簡潔に話した。 そしたら読者の方から意外な言葉をもらう「賢い人なのかな?と思いました」と。 なぜ!?と聞いてみると ・ケーキを買うのに店員に対面で話しかけられない ・SNSなどの非対面でのやり取りで人に慣れていった この2点の様な部分から、自分の出来ない事を、自ら分析して、変えていく事が出来ているのかなイコール賢い人なのかな、と。 私の記憶がおぼろげなせいか、かなり話を盛りに盛っている気がするが。 閑話休題。 私にとっては"ただの挫折経験"だった事が、人から見たらその経験をもとにして、自分なりに変えていっている様に見えるのか!と目から鱗。 おかげで"ただの挫折経験"の数々が、今の自分を形作る物になっていたのかなと消化できる様になった。 なので書いてみた、誰かの気づきとか何かになるかもしれないし。 私の話を誰かが聞いて、その誰かが何かを思ってくれれば嬉しいのです。 おわり

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 「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 バスに乗るの話、編。 ※人によってはとてもしんどい言葉も出てくる話です、懸念のある方はブラウザバックもしくは 次の話(リンク) に飛んでください。 なんか度々やってた覚えはあるが、記憶に残っているのはもう一個「バスに乗る」である。 10代も後半に入った、学校の縛りは無くなった、だがやはり社会への罪悪感は拭えなかった、だから行動してみようと思った。 もう20年近く前だが、我が家はPC環境が整っていたのでバスの時刻表や料金表をネットで調べる事が出来た。最低限のお金を持って名古屋市営の「名古屋市北図書館」へと行こうとした、私にとっては前から行ってみたかった「近くてとても遠い場所」 ネットで調べたバス停まで焦りなのか何故か走って行き、数年のひきこもり生活ですっかり体力がなくなっていた私は息も絶え絶えにバス停に着いた、止まっていたバスに表示されていた地名は私が乗る予定のバスと一緒だった。 私は慌ててそのバスに乗り込み、次の降車場の名を聞いて絶望する事になる、逆方向に乗ってしまったと気がついたせいだ。 ニュースや父から聞く社会常識は身についていたが、実体験や学校での学習経験がないとわからない社会常識は、全くと言っていいほど身についてなかった私には、同じ地名や場所の名前を表示しながら逆方向に進むバスがある事は全くの予想外だった。 行き帰りのバス代しか持っていなかった私は、すぐ一駅で降り、戻ってくるバスを1時間近く待った。 泣いた、死ぬほど泣いた、また出来なかった、またしてももっと小さい子でも出来て知ってそうな事を知らずに出来なかった。 吹きさらしのバス停で、目の前のファミリーレストランを見ながら絶望と空腹だけを感じていた。 戻ってきたバスに乗った、本来なら多分これに乗れば図書館へ行けたのだろうと思っていた、運転手さんが怪訝そうな顔で私を見ていた気がする。 家から乗ってきたバス停に着いた、とぼとぼと歩き家に着いた、泣きはらした。自分には何もできない、何も、何も、生きてる意味がわからなくなった。○んだ方がいいんじゃないか?父にも迷惑をかけて金をかけさせてるだけだ。 そこあたりからほんのりとした自○願望に2〜3年ほど付きまとわれる様になった。 そんな状態で過ごしていたある日、近所にミニストップ(コンビニ)が出来た、容易に行ける範...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 「ひきこもっていた時の、努力と挫折と対策の話」 父への誕生日プレゼント?の話、編。 愛知県名古屋市で生まれ育ち、小学5年生11歳(4/2生まれなので進級とともに年齢が上がる)の時に不登校とひきこもりを開始した私。5年生以降も小学生のうちは学童保育には行っていたけど、休んでるのに学童保育にだけ来てると思われるの嫌だな…と、そっちも休みがちに。勉強嫌いな子も学校通っているのに、喘息もあるとは言えそれ以外の日もズル休み(と当時は思ってた、後に鬱と診断)の私が外に出ている事を知られたく無かった。 だけど、社会に馴染もうという努力はしていた記憶がある。 何歳の時だろう、父が誕生日だ!と、近所のスーパーの中のケーキ屋に買いに行った。 どうしよう、店員さんに声をかける事が出来ない、怖い。 元々ひどい人見知りだったのが、年齢を経て対人恐怖のレベルになっていたらしい。 少し遠巻きからケーキ屋を見つめながら、どうやったら声をかけられるのかを考えるも、恐怖が勝って自分を責める言葉しか浮かんでこない。 はじめ◯のおつかいを当時から観ているが、3〜4歳の子達さえできる事が出来ない自分を責める事しか出来なかった。 泣けてきてしまった、うずくまって泣く私。そんな状態になっていたのをケーキ屋さんの店員さんが気にしてくれてるのが見えた。 ひょっとしたら声をかけてくれるかもしれない!という打算的な考えが浮かんで、余計に情けなくなった。お前(私)はまた他人に頼るのか。 結局実際声を掛けてくださって、ケーキを買えたけど声は全然出なかった、感謝の言葉すら伝えられなかった。 泣きながら家に帰った、帰り着いたら涙が止まらなくなった。 ケーキは美味しかったけど苦い思い出どころか、適応障害を自ら悪化させてた気しかしない挫折の思い出になってた。 次の行動に出るまで1年かかった、ケーキ屋はだめだ、店員さんに声をかける必要がある。ならば声を掛けない買い物なら出来るのではないだろうか?と思った、父の好物はチーズだ、いつもは買わないちょっと高いチーズを買いに行こう、同じスーパーに。 レジを通す時はビクビクバクバクだったが買えた、前回は1時間かかったのが数分で買えた!その日は泣く事は無かった。 つづく(リンクになってます)

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅1-3 前提として、イオは物を失くしたり忘れたりする事が多い。 蒲田駅から前日までに必死で調べていた電車に乗り品川駅へ。 中央改札を出ると大きい時計が見えると兄から教えられていたが、注意欠陥のせいか見当たらない、見当たらない。 周りをぐるぐる、時計あった!兄はどこだ! 中央改札を出て2分近く迷っていた気がする。 居た、居たよ、話しかけたらなんかラグがあったから、きっとピンク髪にびっくりしていたのはここのタイミングなのだろう。 5年ぶりに会いました、10以上離れている兄です、昔は怖くも見える顔だったけれど、やはり少し優しい顔になってる。 イオ家はせわしないので、合流してすぐ動く。 事前に言われていた通り駅ビルの中のハンバーグ屋へ、名前は「つばめグリル」。 これが!あの!イオの趣味の一つはクイズであり、たまたまその関係で今年に入って知った店。 しかし東京の土曜の夜、想定していた以上に激混み、カウンター席なら…との声掛けにもさすがにゆっくり食べられないと後送りにしてもらったら、数十分待った。 待ち時間で近況やら親戚の状況やら話題の7割は終わった。 いよいよボックス席?へ案内されてメニューを見る、やばいな…定番はビーフシチュー掛け、横にはデミグラス掛け、ほんのり偏食の気がある私が苦手な組み合わせである、結果和風大根おろしにした。 色々文章では話せない話もした、アレやコレやソレなど。 頼んだもの来た…このハンバーグの横にある大きな丸いものはなんですか?拳大くらいあるふかしたジャガイモが丸々一個乗っていた。美味しいけど豪快やな… ハンバーグ、美味しい、タレ、美味しい、わさび菜、美味しい、ジャガイモ、美味しいけどお腹にくる…。 何の気無しにご飯かパンかでパンにしてた、3枚分くらいの、切れ目を入れたバゲットがパリパリで美味しいけど堅い、顎がやられそう。 根性と勿体無い精神で完食した。 写真撮ろうぜと言ったが場所が悪い、駅に着いてからにしようとなった。 イオ家はせわしない、2人とも食べ終わったらすぐお会計、東京の物価にビビる。 しっかり帰りも何に乗れば良いか調べてきて、それであってるよね?と確認し、改札で解散した。 行く方向違うと指示を出された、時に気づいた、写真撮り忘れた…。 正味2時間もない...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅1-2 前提として、イオは物を失くしたり忘れたりする事が多い。 電車に乗り、早めにチェックインできるかなーまだ預かりかなーと思いつつ、降車してホテルに到着。 何故かまきまきが慌てている 「時間間違えてた!」 どうやらこの時刻だと荷物預けて今から電車だと勉強会に遅刻するらしい、ごめんなさいまきまき、イオ全然調べてませんでした(´ω`;) という事でタクシーを拾う、たまたますぐ空車が見つかった! そのタクシーの運転手さんも面白かった 少額の端数は「良いよ良いよと断って、カミさんに怒られる」 自分が乗った時はお釣りを「良いよ良いよと断って、カミさんに怒られる」 名前表示も無かったし、個タクならそりゃそうやろなぁ…と思いながら、他の話もして3人大笑いの道中だった。 数分遅れて勉強会に到着、簡単な名前とカレッジの自己紹介中、タイミング的にオーラスになってしまった() でもこれまでオンラインでしか存在を知らなかった方々がリアルに居る!わーい!嬉しい! 今回運営に協力してくれる学生ボランティアさんにいつも通り話しかけるまきまき、フレンドリー過ぎです(褒めてる) 同じテーブルに私が参加するヒューマンライブラリーのメンバーの方々が居た、背後のテーブルにもメンバーの方々が居た、所属カレッジ毎に座ってたはずがヒューマンライブラリー担当メンバーが全員付近に集まってた、たまたまなのかそうでないのかは遅刻していったので謎。 カレッジ紹介を順番にしていった、高知勢、時間管理出来ない、話したい事多い、大幅に時間を使ってしまって申し訳ない( ̄▽ ̄;)けどなんだかそれも笑って済ませてしまってくれるのが、リカバリーカレッジという共通言語を持ってる人達の懐の広さだろうか。有難い。 休憩毎に挨拶をしたり、各地から集まったお土産のお菓子を貰ったり、私は相変わらずアクセサリーを持って行ってたので、出会いの記念にと学ボラさんにプレゼント。 めっちゃ喜んでくださって、明日つけて行きますね!!と言ってくれた、可愛い、嬉しい。 ほぼ予定通りの時間で勉強会が終わり、明日使う部屋の説明を受けて、どういった配置にしよう等ヒューマンライブラリー担当メンバーで打ち合わせをした、改めてこの数ヶ月密に打ち合わせをしていた人達が目の前にいる、感動...

ピアサポーターイオ(年末なのでコラム)

こちらのブログを本格的に動かし始めて半年以上が経ちまして、年末にかこつけて色々語っていこうかと。 このブログを始めたのは様々な理由がありましたが、高知の派遣登録障害者ピアサポーターがどんな活動をしているのか?を知ってもらう事も、一つの理由でした。 実はピアサポ運営に誘ってもらった時に既に「何か外部からも知ってもらえる場所ほしい」と個人的に思っていたので、一緒に運営やってくれてる2人からのブログ開設の賛同は嬉しかった。 そしてコラムとかあっても面白いよねと、言い出した私が一番文章書いてない実態があったりは置いといて、せんずさんの他者との食事のコラムを編集しながら読ませてもらって、その感想と、これまでの1年と半年での2人との出会いを書きたくなりました。 まずはtomoさんとの出会い、ピアサポ研修で同じグループになったのが最初でした。 私の付けてた自作アクセサリーを褒めてくれたのがキッカケ、次の日にはSNSのアカウント教え合ってたな🤔早い。 リカバリーストーリーは最近話し始めて、どういった内容なのかは私は知りませんが、今年に入って「話してみようかな」との言葉が聞かれた時にはなんだか私が嬉しくなってた記憶があります。 私的tomoさん分析: デジタルに強くて、編み物とかやってるから手先が器用かと思いきや割とそうでもない人。石を愛す仲間(私が引き込んだ) やりたい事が沢山あって、いつかキャパオーバーしそう、それを止めつつも応援している。頑張り過ぎないでね。でも色々一緒にやってこーぜ! 次はせんずちゃんとの話。 私とせんずちゃんがしっかり話す様になったのは今年の初め頃、確か中土佐での出張RCが行われたのを機に、繋がりが強くなりました。 元々は同じ研修に参加されてて、私は一方的に存在を知ってたけど、当時はあまりにしっかりしてらっしゃるので専門職かと思ってた() 私を運営に引き込んでくれたのもせんずちゃんだったな🤔 私的せんずちゃん分析:大胆に見えて繊細、賢いのだがたまに抜けてる。サカバンバスピスは元々好きだったけど私が引き込まれた。 色々やりたい事一緒にやってこーぜ! 「せんずちゃんのコラムを編集しての話。」 ブログの投稿は、私とtomoさんの2人体制で行っている。あんまりデジタル強くない人の報告やコラムは、文章をもらって(今の所)私が代理投稿&編集をしています。 編...

とりあえずのアイキャッチ

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この写真は何かって?絶滅したとされる古代魚サカバンバスピスです。外国の博物館にある復元模型がこんな顔をしている。のステッカー。

せんずさんコラムリンク

せんずさんのコラムのリンク集 「人前でご飯が食べられなくなった話」(今回の実質の第一話) 「その時は突然に」(今回の実質の第二話) せんずさんによる、前回の合理的配慮の話の一括リンクページ

ピアサポーターせんず(自己紹介)

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(編集イオから見た、せんずさん。イラストメーカー使用)  【こんな人】 “せんず”です。声がよくとおる人です。 WRAPファシリテーター&高知県認定ピアサポーター。 大切なことは犬が教えてくれた。 サカバンバスピスが好き。 ティラノサウルスの着ぐるみを着て走るレースに出たい。 【ココロのこと】 パニック症(パニック障害。過剰適応からの発症)の当事者。 他にも広場恐怖症・会食恐怖症・スキンピッキングと同居中。 外的要因のストレスに激よわ。 【こんなキャラクター】 信頼はするけど、期待はしないスタンス。 “ああすれば良かった、こう言えば良かった”お化けによく取り憑かれる。 親は完璧ではないということを29歳で知った。 おてんとうさまが見ている。 【好きな言葉】 「人間は半分バナナ」 「生まれたからには元を取る」

ピアサポーターせんず(コラム)

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「その時は突然に」 メンタルクライシスを経て、デイケアに通い始め、WRAPに出会い、りぐらっぷ高知に所属させてもらい、たくさんの人たちとの繋りができ、自宅以外に 「居場所」 と言える大切な場所や人ができた。 そんな時、りぐらっぷ高知の忘年会が開催されるという。 迷った。 絶対に楽しい、楽しそう。もっとこの人たちと話をしたい。 でも、また食べなかったら 「おかしい」 と言われてしまうかもしれない。 そんな不安を心理士に相談すると 「無理に行くことないと思うよ。極論、外食って絶対にできないかんことではないし、せんずさんがしんどい思いして克服しなきゃいかんことでは…」 「Kさん、私、外食できるようになりたいんです。みんなとおしゃべりもしたいし、おしゃれなお店行って、美味しいもんいっぱい食べたいんです。マジで美味しいもん食べたいのです(大事なことなので以下略)」 「そっか、すまぬ」 ということで、行ってみてダメなら帰ろう。 それにりぐらっぷ高知のみんなは、食べれない私を 「おかしい人」 というラベリングはしない。 食べれないからといって過剰な心配はしないし、苛立ちや困惑することもないと信じられる。 でも、一応幹事には 「食べれないかもしれない。しんどくなったら早めに帰宅するかも。でも会費はきちんと払います。食べれなくても心配したりしないで大丈夫です」 と伝えた。 快くOKしてくれた。 そして迎えた忘年会。 結論から言うと、めちゃ食べれた! 何年ぶりに他人の前の食べれただろう。 食べても吐き気がしない、身体がこわばらない、しんどくならない! 料理の味がする!美味しい! ふと周りを見ると、みんな私のことなんて気にしてない。 思い思いに食事を楽しみ、お酒を嗜み、会話に花を咲かす。 私に話題を振ってくれ、コロコロと笑ってくれる。 私の 「食べる」 ことになんて、興味ない。 食べてようが、食べてなかろうが、そんなことで私に対しての価値判断なんかしない。 そのことが嬉しくて嬉しくて、料理も残さず食べれて、最後にはかけそばを食べきることもできた。 幹事に改めてお礼を言い、食べれたこと、とても楽しかったこと、こんなに安心して食べれたことは久しぶりだということを伝えたら、涙があふれてしまった。 ポンポンと優しくハグしてもらい、周りの人も口々に 「良かったね」 と言ってもらえて、受け入れてもら...

ピアサポーターせんず(コラム)

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  「人前でご飯が食べられなくなった話」 "「会食恐怖症」とは、人前でご飯を食べること(会食行為)に対して耐え難い不安や恐怖を抱き、実際の会食の場面では、吐き気、めまい、胃痛、動悸、嚥下障害、口の乾き、身体(首や手足)の震え、発汗、顔面蒼白、呑気(空気を飲み込んでお腹が張る)、緘黙など、様々な症状となって現れてしまう心の疾患です。 これらの症状の現れ方や程度には大きな個人差があります。 " 山口健太著『会食恐怖症を卒業するために私たちがやってきたこと』内外出版社、2018、p20-21より引用 ※コラム編集イオ注、嚥下(えんげ・飲み込む事),緘黙(かんもく・話す事が心的要因によってできなくなる事) 私は大学生の頃からこの 「会食恐怖症」 の症状に悩まされている。 「人前になるとご飯が食べれない」 と伝えても、困惑されるか 「おかしい人」 扱いをされてしまうことが多く、必然的に外食を避けるようになっていった。 家族や親しい間柄の友人の前でも、外食になると症状が出てしまう。 「家では普通に食べれるのに、なんなの?」 という父の言葉が頭から離れない。 外食はコミュニケーションの一環でもあり、基本的に 「楽しいもの」 という考えの人が多く、私のような人間は宇宙人のような存在だろう。 友人の結婚式の時、案の定食べれなくなり、テーブルの上にどんどんお皿がたまっていくのを同じテーブルについている人たちは怪訝な表情をし、ホテルスタッフは困惑と苛立ちの表情をしていた。 食べれないので下げてほしいと伝えても 「何も手を付けていないものを下げるのはちょっと…」 と断られてしまい、泣きそうになりながら申し訳程度に料理に口を付け、吐き気と胃痛、身体の震えと惨めさ、悲しさを感じていた。 本当につらかった。 自分がおかしいんだ。 食事をすると私は他の人を不快にさせてしまう。 「常に人に見られているという意識を持て。特に女は。」 父の言葉が呪いのようにまとわりつく。 父は私に面と向かって諭したり、叱ったりはしない。 ビール片手にTVを見ながら、独り言のように言う。 私と二人きりの時に。 罵倒されたり、説教されたわけでもない。 でも私にとって大きすぎる存在の父からの言葉は、父が思っていた以上に私に影響を与えたのである。 箸の持ち方、一口の大きさ、所作、振る舞い、他者からの目線 店...

ピアサポーター・イオ(コラム)

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  『中土佐町からなにか出来れば』番外編 イオ、リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅1-1 前提として、イオは物を無くしたり忘れたりする事が多い。 そんなこんなでオンラインミーティングを重ね、いよいよ当日が迫って来た。 その間もRC高知のコアメンバーとして初夏講座、晩秋講座と動いていた時は実感が湧かなかったが、あと1週間となったら不安と恐怖が少しずつ発動。 だけど!行くんだ!私が行かないと本が一冊減る!それはやばい!みたいなマインドだった気がする。 とにかくまた風邪をひかない生活を心がけ(しょっちゅう風邪ひく)当日朝、健康的に起きられた時にめっちゃ安心した( ̄▽ ̄;) 昨夜のうちに整えておいた荷物に、スマホと充電コードを入れて、完璧だ!と思っていたが、夜になってそれは間違いだったと気づく。 家を出て、父からの最大のサポートである車での送迎で空港へ、土曜日はやはり駐車場が空いてない、荷物を持って途中下車。 予定より少し早く着いたので、お土産を見繕う、夜に兄に5年ぶりに会うのだ。 いつも買っていく定番の飴を…なんか味の種類減ってる…まあ良いか、良い具合に適当である。 まきまきと合流後、父と解散して、さあいよいよ旅が始まる…!(の前に再度お土産見たりしたが) 飛行機も5年ぶり、仕様が、仕様がわからん!…こういう時はその場で聞きゃいいんだな、やはり良い具合に適当である。 手荷物が検査で引っかかる、めっちゃ慌てる、まきまき許してくれる、ありがたい、でも何が! いつも「何か有った時の為に」とペンケースに入れてる小さいカッターが引っかかってた‪(:3_ヽ)_‬忘れてたー!その1 没収かと思ったら、なんか色々書いてある専用の箱に入れて預け荷物に変更してもらえました、JALとかだけなんかな?すごい。新しい知識を得たとまきまき、気持ち救われるイオ。 出発ロビーまでで沢山の「オオタニサン」を見た。ラッピング飛行機まで飛んでるんだ… さてしゅっぱーつ!飛行機に乗り込む、乗り込んですぐの所に飴ちゃんが置いてある、この飴ちゃんが飛行機に乗ったぞ!という気分を実感させてくれるから好きで必ず貰う。見てないまきまき分もで二つ。席についてお渡し。 よくよく考えたら、一人旅じゃない飛行機久々だし、家族以外と乗るの初めて。楽しい。 機内サービスのビーフコンソメスープ美味しい。 飛行機の高度と同じく...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』番外編 リカバリーカレッジ文化祭in東京の旅ゼロ(東京に行く前までの話) 前置きとして、私はなかなか突飛な行動を取る無鉄砲である。 2023年からリカバリーカレッジ(以下RC)高知に参加する様になって、2024年は元々のコアメンバーだったピアから「ピンチヒッターお願い!」と頼まれ、一つ返事でオッケーした、無鉄砲1である。 RC高知のミーティングに入り何度目かの時、RC文化祭が東京で開催されます、一緒に行く人いませんか?とコアメンバーのまきまきさんから声掛けがあり、文化祭?楽しそう、東京だと?行きたい、で手を挙げる、無鉄砲2である。 その後にRC文化祭とはなんぞやと調べ、これは本当に楽しそうだ…!でも大変そうだ…!ちょっとだけ無鉄砲を後悔していたアホの子。 6月、初めて文化祭のオンラインミーティングに参加した、今回の中心になってくれたRCおおたの、ゆうへいさん、さがらさんは去年の高知の冬講座に講師として来て下さったお二人、知ってる。まきまきも当然知ってる。 他の方々初対面、あわあわする自分。 その日は講座の案出しが有りその中に"ヒューマンライブラリー"が有った、なんぞそれと調べてみた、語る人間を「本」と見立て、聴く人間を「読者」と見立て…ほうほう…語るのは特別得意な訳じゃないが好きなチャレンジの一つだ、やってみたい。手を挙げた。これは無鉄砲ではない。 7月、全体ミーティングの後に講座ごとの個別ミーティングに入った、どうやら私以外はヒューマンライブラリーを既にやっていらっしゃるらしい。 イメージを教えていただいた。みんな良い人だ。 8月、ヒューマンライブラリーのミーティング、パワポで作られたヒューマンライブラリーの説明を丁寧に行なって下さった、やっぱりみんな良い人だ。 同月2回目、メンバーが増えた、役割も決まった、最初の希望通り私は本となる事になった。みんな良い人だ。 それから何度もミーティングを重ね、本としての語る内容の原稿を作ったりした。こんな感じでどうでしょうと聞いてもらうも私はどうしてもコンパクトにまとめてしまう癖がある様で、ゆっくり目に話しても7分(想定10分) なので練習の為にやった擬似ヒューマンライブラリーの中で、メンバーの方から受けた質問への回答などを原稿にプラスして肉付け。 その後も思いつく限り色々増...

ピアサポーター・イオ(コラム)

 『中土佐町からなにか出来れば』4 久々の更新となりますが、放置していた訳ではなく単に体調が悪かっただけという。半年間の3/4くらい風邪引いたりしてた気がする。 今夏からスタッフとして参加していたリカバリーカレッジ高知が、先日行われた晩秋講座を最後に現在の形態での開催を見送る事となりました。 よく考えれば我が家から高知市内までは片道50キロ前後、単純に言えば1日で往復100キロ前後。 リカバリーカレッジ高知は一度の開催で大体4日間、昨年の夏講座からほぼ毎週参加していたので、初夏講座までで約1年間で12回の往復。 私は車などの運転が出来ないので、送迎は父がやってくれています。 よく考えなくても重労働、引き受けてくれてるのが奇跡。 リカバリーカレッジへの参加は中土佐町から何かが出来るのは、父とピア達のサポートがないと、私の頑張りだけでは成立しないものと実感する機会にもなっていました。 これを書き終わるのに時間がかかりすぎて(書き始めたのが11月24日)、色々現状が変わりつつありますが、リカバリーカレッジ高知を継続していきたいという想いはより一層強くなりました。 継続していける様に、頑張り過ぎず、頑張ります。